「カルテット」と、将来への決意 #非公開ブログ

 

 ※自分以外の人は置いていく気全開で書きました

大学三年生の時、TBSの「カルテット」という連続ドラマを見ていた。

「坂本裕二脚本なんだ!面白そうだな~見てみようかな」くらいの軽い気持ちで見始めたが、私の人生は「カルテット」で変えられたといっても過言ではないくらい、大好きなテレビドラマである。

どうしてそんなに「カルテット」が好きなのかというと、このドラマは世の中の一般常識の真逆を行く作品だからである。

私にとって最も印象的な場面は3話で巻(松たか子)が入院中の父親に会うために病院に出向いたものの、病室に入れずにいるすずめ(満島ひかり)と一緒にご飯を食べるシーンで、巻が

「すずめちゃん、病院戻らなくていいよ」

と声をかけるシーンだ。

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「家族は仲良くなくてはならない」ということが当たり前に信じられている。もちろん私も、家族関係が良好なことは好ましいことであると思う。だけど一見普通そうに見える家族であっても、抱える背景は人それぞれなのだから、世間でどれだけ「家族は仲良くしないと駄目」と言われようとも、家族関係が本当に嫌ならば縁を切っちゃても別にいい、と私は本気で思っている。

だけど「家族が別に仲良くなくてもいいじゃん」と言えるような空気が社会的に存在していないと思う。そういう風に考えている人は意外と多かったりするのかもしれないが、少なくとも私はそんなこと言ったら相手に極度の人間不信とか、性格が歪んでいる、みたいな印象を与えてしまいそうで怖いので、公言は憚られると感じる。(通常の私はまったくもって人間不信ではないし、性格は歪んでない。)

とはいえ私が若干変わった家庭環境ではあるかもしれないとは思う。私の母は幼少期に母親(私の祖母)を亡くし、父親(私の祖父)は再婚したが、その際なぜか弟(私の叔父)は家に残ったのに、私の母は叔母(私の大叔母)の家に大学を卒業し、独立するまで預けられた。そもそも母と私の叔父が同じ家に住んでいた時から、食事の際に叔父は魚を与えられても母には与えられないとか、将来的に家を継ぐ私の叔父が好かれていたらしい。

叔父と叔母は母の将来について干渉した。大学卒業後に大学院に進学することと、教員になることを強制した。また大学在学中には縁談を勝手に見つけてきて、大学卒業したらすぐに結婚することも強制された。叔父が亡くなり、叔母が高齢になってからは、意地でも老人ホームに入ろうとしない叔母の家に毎日通い、老人向けの食事を作ったり、体調管理をしたりさせられていた。(そういう指示を受けたわけではないけれど、無言の圧力的な奴である)

叔母の面倒を見る生活を送っていた母だが、本当は叔母の面倒を見たいとは思っていなかったので、毎日のように荒れていた。叔母の家に行く準備をしている時に泣き出すのは日常茶飯事だったし、イライラしているのか、私相手に言いがかりをつけて喧嘩してくるのもしょっちゅうだった。それでも、「子供は親の面倒を見るものだから」と言い続け、自分を叔母の家に行くように説得していた。そういう生活をするのにも限界が来たのか、ある日から母は叔母の家に行くのを一切やめ、以後一度も会っていないようである。

そうやって人の言うことに人生を決められ、社会的規範にがんじがらめになっていた母は、私に対しても「~~しなくてはならない」と言ってくる場面が多かったように思う。小学校から高校までの一貫校に通い、小学校、中学、高校とすべてでいじめにあっていた私は、学校をやめたいと思うことも多かったが、母は「一度入学したら辞めるなんて論外よ」「外部の学校に入学する人は非常識だ」といつも言っていた。また勉強についても、私は勉強が嫌いだったので自分からは全然しようとしなかったが(ごめんなさい)、「勉強しないと駄目でしょう」といつも言ってきて、叩き合い殴り合いはもはや日常の風景だったし、時には包丁で脅してきて「今すぐ勉強しなければお前を殺す」と言われたことは一度や二度ではないどころか、10回、20回はある気がする。

私と両親は身体的特徴がなぜかあまり似ていないので、「私は本当にこの人たちの子供なのか」と疑問を抱いていた。私の両親は私に金銭的な援助をするだけの存在と考えるようになり、愛情だとか、それ以上のことを期待するのはやめた。道で仲良さそうに歩いている家族や、公園などで一緒に運動している家族を見たりすると、心底羨ましく感じた。

これだけ書いたが、今の私と両親との関係は非常に良好である。というのは昨年私は就活がうまくいかず、もはや誰とも会いたくないし何もしたくないという状態になり、ほぼ家に引きこもり()になった。就活自体も親の方から就活しろ就活しろとめちゃくちゃプッシュしてきて、仕方ないからやっていた。

就活へのやる気が出ない大学生なんてクズでしかないと自分でも思うけど、ちょうど就活が始まろうという時、私はこれまで自分が熱量をもって取り組めたことが一つもないと気付いた。世間体ではなく事業内容や身に着けられるスキルを考えて入社したいと思える企業が一社もなかったが、これまで12年にわたるいじめや、殺しにかかってくる両親との人間関係に耐えていたので、忍耐力だけは自信があり、どんな仕事でも耐えられると思っていたので、給料が高くて名が知れている会社なら心底どこでもいいと思っていた。しかしこんな態度では内定するわけがないので、ESではそれっぽいことを書いてごまかせても、会社を受けるたびに基本的に一次面接で落とされた。

内容は捏造ばかりのESを何とか提出して、通過連絡が来たときは毎回「してやったり!」と思ったものだが、面接の前になると、私はこの企業の年収と、ネームバリューに惹かれてるだけで、志望動機が全然わからない、どうして私はこの企業に入りたいんだろう?という事態に陥った。就活生って、みんなそんなものなのかもしれないし、私が実力不足・準備不足で落ちたのかもしれない。とは思いつつも、明らかに無理のある志望動機しか言えなかった。自己PRというのも、「いじめと家庭環境の悪さで鍛えられた忍耐力」なんて言うわけにいかないので、自分でもよく分かんないことをでっちあげて言っていたが、面接してくれた全社員の方々に嘘がばれていたと思う。

そういうわけで就活が全くうまくいかなくなった。そこで私は考えた。私が入りたいと思える会社がない、あるいは企業全落ちなのは私のせいではない。私がこれまで、両親の希望に沿うために私自身の意志を徹底して抑制してきたからだ、全ては両親のせいだ!!!!!と。

いつまで親のすねかじる気なんか?大学生のくせして親に依存しすぎだろ。。。っていう突っ込みは、自分でもそう思うけど、私はこれまで自分で興味を持って物事に取り組んだことは中学で部活に入った時と、留学した時の2回しかなかった。これまでみたいに「私は何でも大丈夫です!なんでもやります!」が通用すると思っていたけど、社会は甘くなかったとようやく気付いた。でも私が就職うまくいかないのは、私のせいじゃねえ!!もう就活なんて辞めてやるー!!!

そういうわけで、私は引きこもりになった。アルバイトは面倒くさくなったので辞めて、毎日好きなものを食べ、映画をストリーミングで見まくる生活をした(この体たらくな生活のせいで体重6kg増えた)。でも夜はストレスで寝付けなくなり、3時より前に寝る日がほとんどなくなった。さすがに見かねた両親が就活しろと言ってきたが、それを固辞したので大喧嘩になった。私は思っていることを全部言った。そしたら両親は、思いがけないことに私を受け入れてくれたのである。それどころか、これまでのことを初めて本気で誤ってくれた。そういうわけで、わが家は雪解けした。

ある意味では私はこの上なく親不孝で、世の中のごみなわけであるが、別の視点から見たときには、「親の言うことをひたすら従ってきて、気づいたら自分というものがなくなっていた人」なのだと自分では思っている。家族というのは本当にいろいろなのだ。私と両親の仲が最も険悪だった時期でも、はたから見れば私の両親は「ただのいい人」だった。家で包丁を持ち出して子供を脅しているようには全く見えなかったことだろう。

私はこれまで、私自身も私の家も普通ではない、と思って生きてきた。とはいえ他の家庭も、うちのように、人には言えないことの一つや二つはあるのかもしれない。

世の中には正論や、一般化されたことを言ってくる人がたくさんいる。「勉強して良い大学、良い会社に入ればよい人生が送れる」「結婚すべきだ」「夫は仕事、妻は家庭」「稼ぎがあるほど偉い」「恋人がいるほうがいないより良い」・・・それらの中には、もちろん真実もあるだろう。

しかし私は、「そうじゃなくてもいいんだよ」「無理してまでも正しくあろうと、頑張ろうとする必要はないんだよ」と言ってあげられる人になりたい。その一方で東大や京大、あるいは海外トップ大学を出て外銀・外コンに入社、起業して大儲けしつつ結婚して子供もできる、というエリート街道への執着が正直現状ではめちゃくちゃ強い。でもエリートへのあこがれは、結局のところ、自分の対外的な評価に基づく将来像の描き方でしかない。そして対外的な評価をベースに生きていたら、どれだけ高学歴でも、年収が高くても、自分自身に満足できる日は死ぬまでたっても来ない。

そういう世俗的な評価に、常に私自身が負けそうだけれど、私はこれまでデキる子では一度もなかった分、エリート街道一直線の人には見えない光景が見えているはずだ。人の背景を想像したり、社会的規範に必ずしも縛られる必要がないと考えられるところは、就活のESでの自己PRとしては使えないけど、相対的に見ても私の強みというか、誰にもあるとは限らない部分であるはずだ。

昨日、映画の「マイヤーウィッツ家の人々」("The Meyerowitz Stories (New and Selected)")を見た。虚栄心が強く、子供のことを顧みない父親は、生命の危機に瀕して入院を経た後も、その性格が変わることはなく、大成しなかった息子のことを自分の都合で振り回す。それに対して子供たちは、父親は自分たちなしでも生きていけるのだと気付き、父親の支配下から精神的な独立を果たす。

「カルテット」そっくりの内容ではないか。と思った。そして、「カルテット」を初めて見たときのことを思い出した。問題に対する解は一つでないのだ、ということを改めて思い出した。

私は、「そうじゃなくてもいいんだよ」「無理してまでも正しくあろうと、頑張ろうとする必要はないんだよ」と言ってあげられる人になりたい。またそういうメッセージを伝えるものを作る社会人でありたいと思うのである。

 

これはただのnoteではない。朝令暮改な性格の私だからこそ、考えたことをきちんと記録して、必要な際に見返す必要がある。つまり私の本気の決意表明として、文章にしてここに残すものである。