思考の備忘録

他者とのかかわりと孤独について

 

時々、私は死ぬまで誰とも分かり合うことができないかも、という恐怖に襲われる。

そもそも「分かり合う」ということはどういう状態を指すのか、自分でも分からない。既に今いる知り合いの中で、分かり合えている人がいるのかもしれないし、そうではないかもしれない。

根本的に、人との距離感というものが20代半ばになっても、よく分からない。基本的には時間さえあれば、人に会いたいと思う。一人で過ごす時間は大事だ。一人でいる時間がなくて、ずっと人と一緒にいると息が詰まるような感じがして、耐えられなくなる。だから程よく人と一緒にいたいと思う。他人と一緒にいる私は楽しい時間を過ごしていても、私と一緒にいる他人の方は楽しいとは思っていないのではないか、と不安に感じることは多い。直接会っている時だけではなく、LINEで誰かを誘うときはいつも、私に誘われたら迷惑かな、、と不安になりながら送っている。

 

これまで熱中してきた物事を振り返っても、「人と一緒にいて、コミュニケーションを取るのが楽しい」という感情がモチベーションになっていたように思う。私が表現したいこと、というのがないわけではない。けれども表現そのものより、表現により生まれるコミュニケーションをしたいから、表現に取り組んでいるんだろうなあと思う。

考えが合わない人と何度も話し合って、思いを共有できるようになったとか、とんでもないハプニングを仲間と乗り越えたとか、そんな大げさで立派なエピソードは正直1個もなく、ただただ各自がやるべきことをやるためにやり取りをしているだけだけど、一つのモノを作り上げるという目標のもと、何の共通点もなく、その目標がなければ知り合いようもなかった人たちと、ああでもないこうでもないと言いながら一緒に作業できる時間は本当に幸せだと思う。

しかしそんな瞬間を私が幸せだなと思えるのは、私という個人が本来孤独な存在であることを理解し、孤独を楽しむこともできるけれど、孤独であることに寂しさも覚えているからだと思う。孤独でも人生は楽しいけれど、人と会い、一人では生まれることのないコミュニケーションを楽しむことで、孤独でいるよりも楽しい人生を送れている。これからも孤独を恐れることなく、人生を充実させていきたい。

 

、、、あ~やっぱりコロナ禍きつい。コロナにかかりたいわけでも、周りをコロナに感染させたいわけでもないが、やっぱりあの人をご飯に誘いたいな~という思いが浮かんでくる。食事なしで会おうよ~と誘うのってほぼ無理だ。緊急事態宣言が終わったら、大手を振って飲みに誘いたい。