自分語り #非公開ブログ

私はマーケティング/広告手法を極め、将来的にはどんな映画もヒットさせられるプロデューサーになりたいです。

 

突然ですが、私は映画が好きです。

映画を見ている時間が、一番幸せな時間だと感じます。

具体的にどういう映画が好きかというと、一言でいうと【何か得るものがある映画】が好きであると思います。(こちらも時間とお金を投資して映画を鑑賞するわけなので、当然リターンがないと嫌です)

「得るもの」というのは、癒し(ストレスからの解放)/知識/前を向く気力/世の中を捉える新たな視点/自分とはかけ離れている立場にある人の気持ちを想像する力/夢を追う勇気 など、本当にいろいろあります。
正直私はcinephileです!と自信をもって言い切れるほど、映画を多く見れていないという自覚のある私ですが、昨今の日本映画には一言申したい!

 

内容が薄く、クオリティの低い映画が多すぎじゃないですか?

有名俳優で人を惹き付けられれば、内容は二の次(というかどうでもいい)と思っていませんか?

従来の成功パターンに従い、そのパターンから外れる冒険的な映画の製作に躊躇していませんか?

文化を成熟させる、という視点を持って映画を制作していますか?

日本映画の対外的な評価を向上させるという意識を持って映画を製作していますか?内需だけが満たされればよいと考え、国内でのbox officeのみを最大化するという目的のもとに映画を製作してはいませんか?
あとこれは特に映画配給会社や、官僚の方々に対して言いたいのですが、映画制作現場の労働環境がよろしくないことについて、対岸の火事だからとそこまで改善させようとしていないのではないでしょうか?
クリエイター(映画監督や脚本家)の意図よりもプロデューサーの意図を優先し、いかに利益を確保できるかというプロデューサー的思考のみに則って映画を製作していませんか?

 

私はまだ一介の学生で、映画業界事情には精通する術もないのですが、仮説として【現在の日本映画業界はプロデューサー的思考が蔓延しており、それが日本映画の質を低下させている】と考えています。

映画の価値を測る方法として、①商品としての価値(商品価値)②作品としての価値(作品価値)があると定義します。

まず①商品価値について、現在の日本映画の商品価値は非常に高いと考えられます(もちろん、今よりも商品価値が向上する方が望ましいですが)
統計によれば日本人は平均一年に一回しか映画館に行かないようです。その数値も、本当に国民全員が年1で映画館に行っているというわけではなく、頻繁に映画館に通うシネフィル層と全く映画館に行かない層が混在しているため、そのような数値になるのではないかと思います。
とはいえ2019年は、『君の名は。』『天気の子』『ドラえもん』といったアニメ映画、『コンフィデンスマン』のようなTVドラマの映画版、また『キングダム』『飛んで埼玉』など、漫画や小説の映画化作品などの作品がヒットした結果、興行収入が現在の調査方法に変更されて以来過去最大の数値になっています。

一方で②作品価値は、商品価値と共に高まるとも限らないため、近年の日本映画においては軽視されがちな点であると考えます。
アニメ映画、原作モノ、TV映画が主流であると上で述べましたが、それらの系統の作品においては作品価値が二の次と捉えられている印象を受けます。(もちろんすべてに当てはまるわけではありません)


あくまで一例ですが、2020年に公開になった、山崎賢人高畑充希主演の『ヲタクに恋は難しい』という映画は漫画原作、福田雄一監督のフジテレビ資本の映画ですが、この映画に芸術性を期待する方が難しいのは一目瞭然であると思います。
山崎賢人高畑充希が踊って歌い、賀来賢人がオタ芸をするだけの映画だと言っても過言ではないと正直思います。
ですが、映画製作の目的を【日本国内における興行収入の最大化】としている現状では、このような見るのもばかばかしい(ごめんなさい、もちろん山崎賢人ファンやばかばかしい映画を見たい人、原作ファンなど、一定の需要はあることは認めています)映画が量産される事態は不可避です。

そういうわけで、映画製作の目的を【日本国内における興行収入の最大化】とした際に、近年の映画の商品価値は高く、日本人のニーズに最もマッチするように企画を立てる戦略は、方向性として正しいと考えられます。
その一方で、映画製作の目的を【多様なエンターテイメントを観客に届ける】とした際には、方向性としては完全におかしな方に行っています。私はこの目的へとかじを切っていくべきであると考えます。

多様なエンターテイメントを観客に届ける についてですが、
まず【多様なエンターテイメントとしての映画が存在している状態】を定義します。
多様なエンターテイメントとしての映画が存在している状態=映画の作り手が、作りたい映画を作れて、日本国内で公開できる状況 です。
(※ここでは日本映画だけでなく、海外映画の配給も含むことにします)


たとえば原作モノよりもヒットしないリスクが大きいと考えられるオリジナル映画などであっても、作り手が製作したい映画を製作できるだけの予算を与えてくれる会社がある、ということです。

また多様なエンターテイメントを観客に届けることのメリットとして、①日本映画の海外における評価の上昇、需要の拡大 ②日本国内における日本映画需要の拡大 が挙げられると考えます。

そのようなメリットを加味しても、日本において【多様なエンターテイメントとしての映画が存在している状態】の実現は難しいのは自明です。
なぜなら映画業界全体が過去の成功則に基づいて事業を行う傾向にあり、芸術性や独創性の高い映画を配給して成功した事例が少ないからであると考えます。

 

したがって、【多様なエンターテイメントとしての映画が存在している状態】を実現するために必要なのは、芸術性や独創性の高い映画を配給して成功した事例です。

「日本映画は多様性を欠いている」「アート志向の強い映画が制作しにくいのはおかしい」など、不満を言うのは簡単ですが、日本映画を取り巻く現状の変化を考慮せずに映画事業を行うことはできません。
TikTokYouTube、あるいはストリーミングなど、気軽に家で楽しめるエンターテイメントがここ数年で急激に充実し、気軽にエンターテイメントを楽しむ場としての映画館の価値、DVDで映画を見る価値が下落したのは認めざるを得ません。
TikTokYouTubeの動画は映画と比べてはるかに時間が短いので、映画のように2時間も映像を見続けるのは退屈だ、そんなにずっと集中力が続かないと考えられても全くおかしくありません。

 

そのような状況下でも、作り手に自由な映画製作を許し、映画館で(あるいは自宅でも)芸術性や独創性の高い映画を見る価値を伝えるのに必要なのは完成した作品のマーケティング/広告戦略 だと思います。

※韓国のように、国策として映画の作品性を高めるというのもあると思いますが、ここでは邦画+洋画を対象としてるので、その方向性は考慮しません

 

アメリカでは2012年に、大作主義に縛られず、芸術性が高い映画を専門に配給するA24という会社が設立され、『Moonlight』や『Lady Bird』など、数えきれないほどの亮作映画を配給してきました。この会社はマーケティング手法により自社作品を興行収入的に成功させています。アメリカではこのA24が配給を行い、日本では2020年に公開され、ファントムフィルムズという配給会社が配給を手掛けた『ミッドサマー』という映画があります。この映画はグロ描写、不安定な旋律の音楽、えぐい性描写など、一般的にはウケなそうな描写がてんこ盛りなのに公開初週の興行収入ランキングで6位になり、extended versionも公開されました。

このような事例を見て、どんな映画もマーケティング/広告戦略次第でヒットさせられるのではないか、と考えるようになりました。

 

よって私はマーケティング/広告手法を極め、将来的にはどんな映画もヒットさせられるプロデューサーになりたいです。